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深夜の浅草をただ散歩するだけで昭和の映画の主人公になった自分がいた。

とりのこたけみ

こんばんは。

夜の浅草寺の周辺は真夏なのにも関わらず、ひんやりとしていた。車も人も滅多に通らない。赤色の暖かい街の街灯はただコンクリートを照らしていた。

深夜の浅草をただ散歩するだけで昭和の映画の主人公になった自分がいた。

ドライブ

2022年8月17日。「今日、深夜ドライブしない?」中学からの友達のLINEの一言で私は家を抜け出した。

前日は高校時代の友達とエアビで借りた宿でお酒を飲んでいた。目の前にあるお酒を飲み干しても、次から次へと買い増しされるアルコールと飲みコール。朝4時半、日が昇る頃に私は眠りに落ちた。午前11時、チェックアウトに間に合うように、疲れを残したまま宿を出た。家に着いたのは夜7時。ちょうどその時間に先ほどのLINEの通知が来た。

夜11時。友達が家に迎えに来た。いつも友達が乗ってくる車は紫色の軽自動車だ。その車を頭で想像しながら彼の車が停めてある庭の脇の道路に足を早めて向かった。しかしそこにあったのは普段彼が乗っていない白い高級車だった。「車変えたの?」と私が聞くと、「レンタカーを明日の午前中返しに行くのよ。だからせっかくなら深夜もドライブしたくね」とのことだった。

最大料金三百円

葉市中央区から浅草まで、一般道で車を走らせていく。決してお金がないから高速を使わない訳ではない。ただドライブの時間を長くしたいからだ。時間が勿体ないから早く浅草に行ったほうがいいと思うか?いや私はこういうドライブの時間は長いほうが好きだ。自分が運転する場合も同じだ。

浅草に着くと、まず探すのは駐車場だ。駐車場を探すのは助手席に乗っている人の役目だ。沢山の場所の中から距離・料金・空きを意識して選ぶのは運転手にとって過酷でしかないからだ。

浅草付近の狭い道の中から探すのは大変だと思ったが、障害物となる人と車が少なかったり、駐車場の数が多かったのでスムーズに停めることができた。「深夜最大料金300円」と書かれた浅草寺から徒歩10分ほどの距離にある場所だ。

おみくじ

門をくぐり、仲見世通りを通る。普段は自分から手の届く距離には必ず人がいる道だが通行人は私たち二人しかいないようだ。長く続く大盛況の店は昼間とは違いシャッターで閉められている。深夜に来てみると意外と短い一本道だなと思ったりする。

浅草寺本堂に着く。前の広場にはちらほら人がいるようだ。せっかくだからと財布から細かい小銭を取り出して賽銭箱に入れて手を合わせた。

休憩がてら9月に行く旅行、これからどこ行くかについてのんびり話していた。その時「からんからん」と静かな空間の中で目立った甲高い打撃音が聴こえてきた。

その音の発生源はおみくじであった。(そういえば今年は一回もおみくじしていないな。いやここ3年間ぐらいしてないな)私はおみくじがやりたくて仕方がなかった。

千と千尋の神隠しの釜爺の部屋のような。いろいろな数字の書かれた引き出しが綺麗に並んでいる。その前にある大きな金属の箱を振り、その中から一本の数字の書かれた棒を引く。その棒に書かれている数字と同じ数字の書かれている引き出しの中におみくじが入れてある。

大雑把。

たいむすりっぷ

草寺本堂から左を見ると奥山門がある。(店まだやってるのかな) 本堂から門の先を見ると先ほど歩いてきた道とは違った雰囲気を感じる。歩いて門をくぐる。飲食店街に出るが店は全てシャッターで閉まっていた。

忠臣蔵のシャッター

沢山の店のシャッターの前にはぷよぷよやテトリスのように積み上げてあるゴミ袋とお酒の瓶を入れたケースが並べてある。光を反射して目立っていたとしても決して汚いとは感じない。生活感を感じるだけだ。忠臣蔵(ちゅうしんぐら)と書かれたシャッターの前で写真撮った。

街灯が眩しい。昭和の頃は深夜でも栄えていたのだろうか。つい先ほどまで人が作業していたような空間。人が大勢いるのではないかと錯覚してしまう。ある店の壁には規則性の感じられない窓に混じって、でっかい文字で料理名が書かれている。これほどまでに宣伝に命をかけた飲食店は初めてみた。

ホッピー通り

この飲食店街の背後に見える高層建築物。現代的空間から取り残された飲食店街。まるで異世界。いや、どうやら私たちは昭和にタイムスリップしていたらしい。

大正ロマン館の少年

浅草の道を迷路のように散歩していると友達が立ち止まった。5秒ほどじっと動かなかった。彼の後ろ姿は凛としていたが、手が震えているのが伝わった。感極まった声で彼は言った。

「覚えてる?俺のこと」

大正ロマン館の隣の店の軒先の上にいた少年。彼の友人だった。明らかに現代の容姿ではない。昭和初期の頃流行していた伝染病で亡くなった少年らしい。私の友達はその当時浅草では有名な童だったようで。そんな過去を思い出し、記憶の奥底に眠っていた少年の記憶が呼び起こされたようだ。私より随分と小さな少年であった。しかし私じゃ到底辿り着けない深い友情を彼らには感じた。濃くて消えることのない記憶があった。

夜の散歩は想像力を豊かにする。

とりのこたけみ

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toppy

建築大学生。小学生の頃に聴いた「90年代ヒットソングメドレー」がきっかけで邦楽の虜に。今ではインディーズの音楽も掘り下げて聴いています。くだらないことからガチの音楽プレイリストまでまとめているので是非見ていって下さい。

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